「幸せのハードル」は低いほうがいいと思った話

鬼まんじゅう 暮らし・料理

このあいだ少し時間があったので、おやつなような、余ったら夜ご飯の1品に
してもいいか~みたいな感じで、夕方頃に「鬼まんじゅう」を作ったんです。

鬼まんじゅうが何かって、これです、これ。

鬼まんじゅう

さつまいもを角切りにして→お砂糖をまぶして→水と小麦粉を混ぜた衣で和えて
→蒸すだけ。めっちゃ簡単なので、ぜひ作ってみてください。4

話が逸れましたが、私としては、そんな手の込んだ料理でもない鬼まんじゅうなんだけど、
子ども達はめっちゃ好きで。

このあいだ作ったときも、「鬼まんじゅう作ったよー。」と言ったら、
「よっっっしゃーーー!!」って両手でガッツポーズをするんです。

「そ、そんなうれしいん。」ってこっちが引くほど喜んでいました。

幸せを感じる“基準”はどのあたり?

で、思ったんですけどね。

たかだか「鬼まんじゅう」で、そんな幸せな気分になれるって、
羨ましいぐらい「幸せな体質」だなーと思ったんです。

だって、幸せのハードルが高い人より、低い人の方が「幸せでいられる時間」が多いように思いませんか?

例えば、こんなイメージ。

幸せのハードル

【どのラインから上で幸せを感じる?】

雑な手描きの図ですけど、日常に起こる色んな出来事の中で、
幸せのハードルが高い人は3個しか幸せ基準を超えてないところを
幸せのハードルが低い人は7個も幸せ基準を超えることができるんです。

鬼まんじゅうでガッツポーズって……ハードルがめちゃくちゃ低くないですか(笑)。
それか、鬼まんじゅうの価値がめちゃくちゃ高いのか、どっちかですね。

なんというか……うん、見習おう!と思いました。

夏休みが終わりました

今年は夏休みの終わりギリギリまで、私の実家(福井県なんですが)へ帰省していました。

いよいよ清水へ戻るという、前日の夜。
娘がシクシクしながら「帰りたくない。。。ずっと夏休みだったらいいのに。。。」と言いました。

私も子どもの頃、同じように思ったことがあります。気持ちはとても分かります。
私の両親も子ども達をたくさん遊びに連れ出してくれて。子ども達にしたら夢のような10日間だったことでしょう。

毎日遊んで過ごしていたので。。。ただ私も両親もヘロヘロです。ずっとは無理だよ(笑)。
そんな大人の事情はさておき、シクシクしている子ども達に伝えました。

「こんなに楽しいのは、がんばってる普通の毎日があるからだよ。」と。これは私の思っていることなんですが。

夢のように楽しすぎる毎日を本当に毎日過ごしていたら、どうなるでしょうか。
きっと、その楽しい毎日は「日常」になってしまうでしょう。

すると、それが当たり前の基準になって、もっともっと楽しいことしか「楽しい」と感じなくなると思うんです。

「こーーーんなに楽しかった10日間なのに、楽しいって感じなくなるんだよ。それって悲しくない?」
と子ども達に話しながら、そんな世界を想像して私が悲しくなりました。

これもつまり、幸せのハードルが高くなるってことだよなーと思って。
鬼まんじゅうと共に思い出した、夏の終わりのエピソードでした。

まとめ

楽しい夏休みは、楽しいと感じるままの体でいたい。だから、がんばってる普通の毎日は必要なんです。

幸せを感じるハードルは低いに越したことはない。
ちょっとした喜びでもすぐに気付けるようなアンテナを持っていたいものですね^^

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