「正直者は馬鹿を見る」は実際そうなのか?考えてみた

私の人生観
この記事は約3分で読めます。

ことわざって色々あります。意味を知ると、なるほど、なかなかよくできているなぁ。
確かに“あるある”だなぁ。なんて感心してしまいますね。

こうやって「言い伝わっている」とはどういうことだろう?なんて考えてみると、
きっと、言い伝えられ始めた昔から「十中八九そうなったという事実」
積み上げられているからだろうと思うんです。

だって、当たらなければ、そのことわざはだんだん言われなくなって途絶えると思いませんか?
「確かにそうだよね!」っていう認識と共感があるから、後世に伝わるのです。

だから、ことわざをあなどってはいけないなと。思うわけです(笑)。

スポンサーリンク

「正直者は馬鹿を見る」の真意は?

そんな数あることわざの中で、「ん?」と引っかかったことわざがあります。

それが、「正直者は馬鹿を見る」

私は、自分では自分のことを「正直者」だと思っています。
でも、これまで正直でいて「馬鹿を見た」と感じたことはありません

正直者だと自負する人は、けっこう同じように
『馬鹿を見たことなんてない。』
『むしろ正直者でいて得してる気がする。』と思う人も多いのでは?

でも、ことわざとして「後世に言い伝わっている」ということは、
どこかに「その通りだと共感し、言っている人がいる」わけで。

正直者の本人がそう言わない(思ってない)なら、じゃあ誰が言うんだ?と。
そんなことを考えてみました(暇人かw)。

「正直者は馬鹿を見る」って一体誰が言うのだろう?

で、思ったんですけど。

もし「正直者は馬鹿を見る」なんて本人は思っていないとしたら、
それを言うのは周りの“正直者になりきれない人”じゃないかと思うのです。

『ほら、あいつを見てみろ、あんな苦労をして。ああはなりたくないな。』
『ほら、自分の選択の方が正しかったんだ。あぁよかった。』

みたいな感じです。

正直者でいたいけどそう振舞えない人が、自身を正当化するために
悔し紛れに言うのかな~?なんて、想像しました。

「正直者」には2種類ある

さて、ここまで考えて気付いたことがあります。

それは『正直者って2種類の意味があるかも』ということです。

私がさっきから書いている“正直者”は、「ズルをしない」っていう意味で書いていました。

「ズルをする」って、私は気持ちがモヤっとするので、やりません。
要領が悪いことかもしれませんが、自分が後からモヤモヤすることの方が、
要領の悪い分の苦労より嫌なので。

私はモヤモヤより要領が悪い方の苦労を選びたい。そんな気持ちです。

そして、もう1つの“正直者”の意味……それは、「いつでも本音を言う」ことです。

こちらについては、私、場合によっては
うそを言ったり、本音を隠したり、空気を読みまくったりします。

だから「いつでも本音を言う」という意味では、私は正直者ではありません

あのことわざは「正直に言ったらまずいこともある」という意味かも

もし、後者の“正直者”の意味だったとして、
改めて「正直者は馬鹿を見る」ということわざを考えてみると、

このことわざは
『本音をズバッというばかりが良い方法ではない』という意味にも読めますよね。

そして、こっちの意味だったら、
そう言い伝えているのは経験した“本人”なのかもしれません。

子どもには、自分の気持ちに正直に生きてほしいなと思います。
でも、それが“バカ正直”でなくてもいいと思うのです。

周りをよく見て、誰も不利益にならない最善の手を考える。
例えそれが「ウソをつくこと」だったとしても、
人を傷つけるウソじゃなくて、みんなが上手くいくためのウソだったら。

私はそれもありじゃないかな?と、思うほうです。
子どもたちも、そんな知恵を使えるようになってくれたらいいなと思っています。

タイトルとURLをコピーしました