【夏休み】子どもだけ帰省!主婦に生まれた“ひとり時間”で気付いた2つのこと

田舎の子育て
この記事は約5分で読めます。

夏休み中の子どもたち。
今年は私の仕事の都合もあり、子どもたちだけ一足早く私のふるさとへ帰省(2019年)しています。
私は週末に子どもたちを迎えに行きがてら、2日ほど帰省する予定です。

そんな状況で、ふいに“ひとり時間”が生まれました。
上の子が生まれてから早10年。こんなに長く子どもと離れたことがなかったので、
ひとりきりの状況に慣れない自分に戸惑っています。

スポンサーリンク

2日見積もった部屋の片づけが、半日で終わった衝撃

子どもたちを見送って、さあ!何しよう!と気合を入れます。
部屋は連日の行事続きで見事に荒れ放題でした。

子どもたちがいるときには
『ひとりになったらゆっくり片付けよう。とりあえず2日あるから、そのあいだに。』
なんて、のんびり構えていたのですが。

いざ片付けを始めると、はかどるのなんのって(笑)。

途中で「ママ!」って呼ばれて作業中断……が、無いんですね。
自分のやりたいように動けるって、こんなに早いのかと思いました。

結局2日間で見積もっていた片付けが、子どもたちを見送ったあとの半日で終了。
お昼にはもう、部屋はピカピカで体はフリーになりました。

『わっ。ふいに1.5日も自由時間ができちゃった!』ということで、
次はショッピングモールに出かけることにしました。

終了時間を気にしなくていい、途中で「まだぁ?」とか言われない

ショッピングモールをプラプラと。
これがまた目的はなくてもいい、〇時までに帰らなきゃ!と焦ることもない。
「ママ、まだぁ?つまんなーい。」とか、言ってこない(笑)。

となると、逆に買い物は、はかどるものですね。
子どもを連れているといっぱいいっぱいで目に入らない素敵な商品に、
『あっかわいい!』なんて目がいって、見つけるのも買うのも早いんです。
この早さだったら、逆に子どもたちがいても文句もないだろうになぁ、なんて思う皮肉。

結局、この日は本屋にも寄ったりと夜20時までお店をうろうろして、帰宅しました。

ひとり時間はゼロを超えてマイナスなほど、やることが減る

家に帰っても家事という家事がすぐに片付いて、時間を持て余すほどです。

なんとなく、ひとり時間のイメージは「邪魔されることなく家事ができるから早い。」
みたいに自分では思っていたんですね。

そのイメージがゼロ地点としたら、実際はさらにマイナス地点へ到達するぐらい、
やることがない感じでした。

というのも、「やることを邪魔されない」だけでなく、
1つ1つの家事のボリュームも小さくなるのに気付いてなかったのです。

洗う食器は5人分→1人分。洗う洗濯物も5人分→1人分。
私1人だから、おもちゃが散らかることはありません。

片付けたそばからまた別のおもちゃを出される……ということもありません。
(おもちゃなどは普段も子どもたちに片付けさせてはいますが。
 でも、その声掛けがね……動かすまでが大変で。とても時間がかかるんです。)

なんか、1つ1つの家事があっけないぐらい、すぐに終わってしまいます。
こんなに違うんだ!っていう気付きは、自分の中で衝撃でした。

そうした時間を過ごす中で、私は2つのことに気が付きました。

ひとり時間で気付いたこと① 自分の家事スピードが上がってる

1つは、ここ10年でいつの間にか
自分の家事スピードが格段に速くなっていたんだという気付き。

洗濯を畳むのも、野菜を切るのも、
1人暮らしをしていた頃の自分を思い出せば、ものすごく上達したと思います。

だってあの頃は私1人分の量で、時間をいっぱいいっぱいに使っていましたから。

これは自分を褒めたい話じゃなくて、
「慣れ」ってある程度必要なことだなという結論です。

今は、苦手なことは得意な人に任せてそれぞれが得意なことを受け持てばいい、
とか、時間のかかることはお金をかけて性能のいい家電に任せればいい、
という考え方があります。

そのほうが「効率的で、合理的だ」という考え方です。

でも誰だって、最初から上手にできる人はいません。
上手な人だって、苦労して頑張った下手な時期があったはず。

料理も苦手だからって避けていたら、いつまでも速くはなりません。
苦手でもやっていれば、そのうち慣れるっていうのは、多いにあると思います。

仕事だって、同じようなところがありますよね。
やってるうちに上手くできるようになるから、
めげずにとにかく続けてみるって、仕事だけじゃなく大事だなと思います。

私も飛び抜けて料理が上手いわけでも、すごいものが作れるわけでもないけれど、
男だから女だからとか関係なく、ただ「速い方が便利だから」の理由で
多少の家事を身に付けておくのも悪くないのでは?と思いました。

ひとり時間で気付いたこと② 旦那の見積もりが「甘い」んじゃなかった

もう1つ気付いたのは、時間の見積もり方について。

今回、2日かかると見積もった部屋の片付けが、まさかの半日で終わり……。
私の時間見積もりの誤差に唖然としたのです。

そこで、ハッと気が付きました。

私は普段、家族で出かけるときの、旦那の時間見積もりの「甘さ」に
「もうっ!」って思うことがあったのです。

というのも、
『子どもを連れていたら1つの動作にこれぐらい時間を取られる』
っていう感覚が私の中にはあって、
その見積もりから『やれてもイベント2つかな……』って考えているところに、
旦那が例えば3つのイベントとか提案してきたりして。

こっちは『夜寝かせる時間が押してくるよ~?』と思うんだけど、
「大丈夫だよ。」って旦那は言うから実行したら、
案の定、時間が押してきて『ほらあ~。』ってなるみたいな出来事がよくある。

この感覚の誤差、今回のことで言ったら部屋の片付けを私は「2日かかる」って思ってるし、
旦那は「半日で済む」って思ってる。っていう差なんですよね。

10年前の私だったら、確かに旦那と同じく半日で見積もっていたのかも。
つまり旦那は(気持ちとは裏腹にとフォローも入れておく)普段私より子どもたちと
いる時間が少ないから、時間の見積もりの感覚が“夫婦2人でいた頃”に近いんだな。
と気付いたのです。

……じゃあ、しょうがないなって共感できました。
理由が分かったから、次からは何か対策を考えることができそうです。

時間の使い途を改めて考える

この2日間は、時間がとても長く感じました。

「やらなければならないこと」に追われていた毎日が、
ふと「やらなければならないこと」がなくなるぐらい時間が余る。

そうしたら、今度はその余った時間を自分が「どう使うか」を考える必要が出てきて。

そんな非日常的な感覚だった2日間で、
自分に与えられた時間は毎日24時間なんだなと当たり前のことを思いました。

その時間を、何にどう使うのか。

そこは子どもがいようが関係なくて、そんなのも自分の采配の範疇だって言えるぐらい、
意識的に自分から時間を使いにいく(ただ消費するんじゃなくてね)姿勢でいたいなと。
改めて思いました。

自分の人生は「自分が選んだ時間の使い方の結果」なのかもしれません。

タイトルとURLをコピーしました