夫婦は家庭という車を走らせるための両輪だ、というような言葉があります。
働き方改革……女性活躍……ワークライフバランス……
仕事と家庭と、夫と妻。
どっちがどっちを、どれだけ分担するかという“見直し”をそれぞれの家庭が、社会全体が、意識するようになっている中、
この「両輪だ」という言葉も、なるほどね~確かにね~なんて、意味するところに重要な役目をもらって、存在感が増してきたように思います。
大きさが揃わないとまっすぐ走れないのは本当?
で、今の社会全体の雰囲気というか、目指しているところを考えてみると。
「家庭」という車を走らせるにしろ、「仕事」という車を走らせるにしろ、真っ直ぐ走らせるために、右タイヤと左タイヤを「同じ大きさにしようとしている」ように感じます。
議論も、政策も。
でも、ワークライフバランスって「こうですよ」っていう画一的な答えがある問題ではないので、私は別に、その男女の担当が同じ大きさの右タイヤと左タイヤじゃなくてもいいんじゃないか?と思います。
例えば、前タイヤと後ろタイヤでもいいじゃん、ということです。
バランスよく走られれば、何だって良くない?
要はバランスを取って走れることが大切で。
バランスの取り方は左右両輪の大きさを揃える方法以外にもあると言いたい。
と、考えてみると、うちなんか完全にコレですよ(笑)。
これこれ。
「家計」を支える夫がデカい前タイヤなのか、夫不在が多い「家庭」を支える私がデカい前タイヤなのか、分かりませんけどね(笑)!
テレビでもネットでも色んな議論が飛び交っていて、今の流れは良い流れだと思ってはいるけど、話の中心は「働いている女性が働き続けられるように」が多いように感じます。
それはきっと、夫と妻は左右の“両輪”だから。
負担を半々にするだけが解決策ではないはず
でも、仕事を辞めることを選ぶ人、選ばざるを得ない人もいます。
そういう立場の人にとっては、今の議論・政策の方向は「片方のタイヤが取れたら走れませんよ」と言われているようでプレッシャーに感じるかもしれないし、
自分の家庭が“バランスの取れていないポンコツの車”って言われているように感じて凹んでいるかもしれません。
働き方改革の色んな記事を読みながら、『家庭中心の身からすると、ソワソワする内容だなぁ。』なんて考えていたら、『うちはこうなんだよな。』って可愛い自転車の絵が脳裏に浮かんだので、気持ちを書きたくなりました。
いったん働く道を下りた人も、議論の蚊帳の外ではないはず。