とある職業に対する向き・不向き。
私はそれを考えていると、結論の出ない悩み陥ります。
「献身的」という言葉がありますが、
身を捧げるように熱心に仕事をするのは、その仕事に「向いている」と言えるのでしょうか。
例えば、お医者さん
例えばお医者さんのように、直接的に人を助けるような職業ってありますよね。
患者さんにとっては、そんなふうに献身的に仕事をするお医者さんが担当だったら、
すごく幸運だろうと思います。
適当に手抜きされたら、嫌ですよね。
「お医者さんの鑑」と言われるような働き方は、
その職業に従事する人の理想的な在り方なのだろうし、
それを体現できる人はその職業に“向いている”のかもしれません。
でもそれは「患者さんからの目線で見れば」ではないか、とも思うのです。
本当に“向いている”のか?
もしかしたら、お医者さん本人は身を削るようなつらさを感じながら、
それでも、という想いで献身的に働いているのかもしれません。
本人はつらさを感じていなかったとしても、
そのお医者さんも一人の人間で、その背景には家族がいます。
家族からの目線で見れば、命を削るように働く人が身内に居たら心配になるかもしれません。
そういうふうに考えると、要領よく手を抜いて(言い方が失礼ですが分かりやすく)、
そこそこで仕事を切り上げられる性格の方がその職業には“向いている”のかも?
手を抜けない性格ってある意味、“向いていない”のかな?
なんて、結論の出ないことを考えてしまいます。
そんなジレンマが、職業を問わず、あると思うのです。
自衛隊や警察、消防、それに先生。ほかにも。
献身的で正義感が強い人は、その職業に「向いている」のか?難しい問題です。
主婦の立場で何を言ってるのかと思われそうですね。
夫の働きぶりを見ていると、ときどき考えたくなるのです。
私たち家族にとって、「お父さん」は夫1人しかいないので。
答えはない問い、だけど自分で捉え方は決められる
考えてみて、そしてまた私は
「自分にとっての幸せの方向性を知ること」の重要性に行き着きます。
「自分を突き動かすもの」は何なのか?
私は何を満たしたいのか?
仕事の向き・不向きのように「一般的な正解」がないような問いでも、
それをどう捉えるかは自分で決められます。
献身的や正義感、もそうですが、結局は自分はどうありたいか、に行き着くのかなと。
そして、答えはそれぞれの心の中に、ちゃんと持っていたりするものです。
ミッションメイキングのことを多くの人に知ってもらえたらうれしいです。