「選ばなかった方の選択肢を選んでいたら人生どうなっていたか」は語りようがない・その②

私の人生観
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高校の進路選択のエピソードを書き出したら、
言いたいことが長くなってしまい前半・後半に分けることにしました。

「選ばなかった方の選択肢を選んでいたら人生どうなっていたか」は語りようがない・その①

で、ここから言いたかった話のメインなんですけど、
人間結局「選ばなかった方の選択肢を選んでいたら人生どうだったか」は、
経験していないから分からないんですよね。

もしかしたら、「バスケ部とテニス部で迷ってバスケ部に入ったけど、
テニスもおもしろそうで大人になってからテニスサークルに入った」とかなら、
どっちがおもしろいか比較して語れるかもしれないですけど。

そうじゃない選択もたくさんあります。

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「どっちがいい?」と聞かれても、答えられないことはたくさんある

例えば、年下の子に
「大学に進学した方がいいですか、就職した方がいいですか?」と聞かれたとしましょう。

こんな場面で。私は「大学に進学するメリットやデメリット」は語れるけれど、
それと比較して「就職したらどうなのか」の部分は語ることができないんです。

だから、答えようがないんですね。
「大学最高だよ~進学しなよ~」とも「大学最悪だったよ~就職しなよ~」とも言えない。

そんな「語れない比較」はいっぱいあって。

私は遠距離恋愛だったので結婚するときに退職したから、
そっちは分かるけれど、「働き続けていたらどうか」は分からないので、
「退職した方がいいか、働き続けた方がいいか」は語ることができません。

(だからもう一方の立場を知ろうとしないといけないし、想像しないといけないし、
その立場の人とつながりを持って話を聞きたいとも思います。)

選「ば」ないだけじゃない、選「べ」ない選択もある

選ぶことだけじゃない。選べないことだってそうです。
結婚や出産は、する・しないという意思だけでなく、「したいけどできない」
立場だってありますよね。

あと、私の中の選べなかったことで「語れない比較」は、
例えば、双子だったので帝王切開だったこと。

※双子でも帝王切開じゃないこともあります。
一卵性、二卵性とか、胎盤を共有してるか、胎盤も2つあるか、などで
双子の妊娠でもパターンが分かれているのです。

最初が帝王切開だったことと、私の体質の問題で、末っ子くんも帝王切開になりました。

なので、『陣痛ってどんな感覚かな……。』っていう、
陣痛を知らないままっていう寂しさみたいものはあります。

でも、どっちの方が痛いかは語れません(これはどっちも分かる人もいますね)。

また、双子0歳をツインベビーカーで押して歩いていて「まぁ双子なの?」って
声を掛けられたとき(よくある)、そのご年配の方に
「でもあなた、年子の方がもっと大変よ?」といきなり言われたときには

そんなこと、知らないのに……。』となりました。

私は双子の子育ては分かるけど、年子の子育ては分からないから比較しては語れません。

なんとか比較した話をゲットしたとしても

最初の「大学に進学した方がいいですか、就職した方がいいですか?」に戻りましょう。

じゃあ一人では比較できないという前提で、
その子には私が大学に進学した場合について語って、
誰か別の人から就職した場合について語ってもらったとしたらどうでしょうか?

だとしても、その子は話を聞いた人と同じ背景を持っているわけではないので、
比較したところで「その子に当てはまるかどうか」は結局分からないんですよね。

だから、前半の「選択から逃げたモヤモヤ」の話も絡んでくるんですけど、
誰かに「どっちがいいと思いますか?」って聞いて、
その人に「こっちだよ。」って答えをもらったとしても、
それをただ鵜呑みにして本当にいいのか?と思うのです。

もし、言われた通りにするとしても、「言われた通りにすると自分で決めた」っていう
「覚悟(結果がどうであれ、何かのせいにしない)」は必要じゃないかと思います。

「〇〇さんの言った通りにしたら、こうなっちゃったじゃん」は言いっこなしですね。

比較できないものは、どっちもあり。自分で決めたものがベスト!

先のことは分からないから、迷うし、怖い。

それでもやっぱり、自分で決めないといけないなぁ。と思うし、
もう1つ、誰かから何気なく「どっちがいいと思う?」と聞かれることに対して、

安易に「こっちが超オススメ!」「こっちは最悪やめときな」とは
言っちゃだめだなぁ。とも思います。

色んな「比較できないこと」がネットのあちこちで論争になっていたりするけれど、
私は基本的に「どっちもすごい」「どっちもあり」だと思っているのは、
良い人ぶってるとか、結論を出すことを放棄しているのではありません。

お互いにそう言い合えて、堂々と自分の選択を発信できるぐらい、
認め合える社会になったらいいなという気持ちでいるからです。
(そしてよく「八方美人」と言われてしまいます。)

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