スローライフとは?実践方法と本当の意味の考え方

効率化ループアイキャッチ 私の人生観
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私は「田舎暮らし」が自分に合っていて、ここ東伊豆町に定住を決めました。

ですが、スローライフという言葉は単に田舎暮らしを指すものではなく、
都会にいても実践できる「暮らし方のスタイルの一種」だと私は考えています。

「スロー」は、私の中では「持続可能な」という意味の解釈です。

スローライフを実践するために大切なのは、

「効率をどの程度まで求めるか?」

『これ以上は求めない』というラインを決めておくことが大切だと私は思っています。

なぜなら、際限なく効率を求め続けると、ある程度のラインより先は、
効率がいいはずなのにどんどん苦しくなってしまうからです。

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効率的に時間を使って、空いた時間で何をする?

「効率を求めた結果、空いた時間を生み出して何をするのか?」と考えてみます。

きっと、効率を求めすぎる人は、空いた時間で「ゆっくりする」という選択肢は、
「効率の良いことではない」と判断するでしょう。

その結果、その人は空いた時間でまた、何か効率的に仕事をしようとします

効率を求めれば無限に求められるけれど、求めれば求めるほど、
折り紙を小さく折りたたんでいくように、
1回折って減らせる面積が段々小さくなるように、

「効率を良くする効率」は悪くなっていく。

そんなふうに感じませんか?

「暮らす」って、“何か”で時間を埋めること

自分の持っている時間は、みんな平等に1日24時間と決まっています。
そう思うと「暮らす」とは、それぞれの持っている時間を“何か”で埋めて過ごすこと
と言い換えることができます。

ここで、考えてみてください。

“人間らしさ”って、実は非常に効率が悪い行為だということを。

例えば、自分にとってメリットはないと分かっているけれど情に流されて助けた、など。
効率的とは真逆の行為ですよね。

「時間をかけて何かをする」というのは
言い換えれば「効率が悪いこと」になってしまう。

美味しいものをゆっくり味わうこと。風景を楽しむこと。
人間らしい行為はとにかく効率が悪いのです。

効率化を求めすぎてしまっては、そういう部分まで排除してしまうことになります。
情に流されて手助けするとか、非効率であっても、捨てたものではないと私は思います。

子どもって「効率悪い」の象徴だと思う

もう1つ、効率という話で言えば、子どもほど効率の悪いものはないよなって、
子育てをしていて思います。

やることなすこと、まぁ非効率で、非生産的。

どっちの変顔がおもしろいか勝負してたとか、
どっちが先にドライヤーするかで数十分ケンカするとか、

我が家の子たちは一日中、そんな感じです。でも、それが子どもの仕事。

効率を求めすぎると、子供を連れて歩くことにイライラしてしまいます。
子供のやることを遮って、先回りして答えを教えたくなってしまいます。

だから、そんな場面でもあえて非効率な方を自分から選ぶ割り切りが必要だと思うのです。

効率はらせん階段になっている

自分は、どこまで効率を求めるのか?

基準は人それぞれ違うだろうけど、効率化の「らせん階段」を上るどこかの高さで、
その“らせん”は自分で止めなければいけません。

いつかは自分から止めないと、その基準から先は、きっと自分が苦しいから。
では、どこで高さで止めた生活が心地いいのか?持続可能な暮らしなのか?

そう想像してみることが、スローライフの始まりだと私は考えています。

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