大人になってしばらく忘れていたことがあります。
思い出したきっかけは、子どもの小学校でPTA役員をやって、
任期を終えたときの歓送迎会でした(コロナ前の話です)。
前役員の送別会と、次の役員さんの歓迎会を兼ねた飲み会の場。
会も終盤になって役が終わるメンバーが順番に一言ずつあいさつをすることに。
私、こういうの苦手なんです。。。何を話せばいいか。
私の番になって、ちょろっとしゃべって礼をしたら、メンバーの1人が一言。
「まじめかw!」
そして笑いが起きる。え?なんで??そんなにまじめなこと言った?
あぁ、なんか久しぶりに忘れていたものを思い出しました。
私は昔からよく「真面目だね」と言われる……
学生の頃はそれがすごく嫌で、自分を変えたいとまで思っていました。
真面目って褒め言葉なの?けなしてるの?
「真面目だね」
歓送迎会の時のこともそうですが、気にしているのは言われた方で、
言った方はもう、言ったことすら覚えていないものだと思います。
だから本当は、気にせずともよいのです(笑)。
最近は気にならなくなりましたが、学生の頃は
「真面目=笑いが通じないおもしろくない人」と言われているようで、とても嫌でした。
今思えば、当時の私は真面目というよりも、
嫌われたくない気持ちが強すぎて「無難」に「フツー」で居ようとしすぎたのだと思います。
だから、真面目キャラからはみ出すと「そんな人だったんだ!」と
思われそうで、ますます「はみ出さない無難な人」になっていたのかな。
どちらかというとテキトー人間だし、そんなに真面目な性格でもないけどな……。
と思いながらも、素の自分を出せないまま過ごしていました。
大学進学で地元を離れたら変わった
そんな私が変わったきっかけは二度あります。
一度目は大学進学。
地元を離れて、他県で一人暮らしを始めたら、私を知る人が周りに居なくなりました。
夫ともその頃に出会って、少しだけ自分っぽい部分を出せるようになりました。
就職したら「真面目」のイメージが変わった
二度目の変化は就職。
同期入社の友人達と出会い仲良くなったら、色んな話を聞くことができました。
例えば、自転車で日本一周しました、とか、
僕は鳥人間でした(コンテストに出ていた)、とか。
その話が本当におもしろくて、でも、そんな自慢しているふうに威張ってなくて。
めちゃくちゃおもしろいのに、語り始めると大真面目。
相容れないと思っていた真面目と面白いを両立する人がいっぱいいて、
あぁ、別に真面目って悪くないじゃんと。
真面目に熱いことを平気で話し合えちゃう感覚、
でもバカなこともする、そんな友人と出会えて考えが変わりました。
真面目って言われてもいい!
結果、「真面目は褒め言葉ということでいいんじゃない?」
と今は思えるようになって。
大人になっても「まじめかw」と突っ込まれてしまう自分に、
なんだか愛着まで湧いてきました(笑)
ある意味、それも私らしい私なのです。
今は自分の周りに「真面目におもしろいこと(に挑戦)する人」がいっぱいいるので、
いい刺激になって、自分も負けていられない!と力をもらっています。
同じように本気で考えている人にきっと出会える
人生観とか、テーマが壮大になるほど、
本気で考えていることが恥ずかしいみたいな感覚はありませんか?
誰かに聞いてほしいけれど、とことん突き詰めてみたいけれど、周りからの
「まじめかw!」
っていうツッコミと視線が、何か、痛い。
『みんなは考えないの?』『まじめに考えてる、私が変なの??』そう思っちゃいますよね。
もしかしたら本当に、大半の人はそんなことまで考えないのかもしれない。
でも、同じように『真面目じゃダメ?』と思いながら、
真面目に(真剣に、だよね)色んな事を考えている面白い人は絶対います。
そして、目が合ったら勘で分かります、『あっ多分、気が合う人だ』って。
だから今、真面目なことに真面目に悩んでいる人も……
真面目な自分を嫌いにならないで、愛してあげてくださいね^^