このあいだ少し時間があったので、おやつなような、
余ったら夜ご飯の1品にしてもいいか~みたいな感じで、
夕方頃に「鬼まんじゅう」を作りました。
ちなみに作り方
- さつまいもを角切りにする
- お砂糖をまぶす
- 水と小麦粉を混ぜた衣で和える
- 蒸す
以上です!
作り方はめっちゃ簡単なので、ぜひ作ってみてください。
話が逸れましたが、私としては、
そんな手の込んだ料理でもない鬼まんじゅうなんだけど、子ども達にはめっちゃ人気で。
このあいだ作ったときも、「鬼まんじゅう作ったよー。」と言ったら、
「よっっっしゃーーー!!」って両手でガッツポーズをするんです。
「……そ、そんなうれしいの?」ってこっちが引くほど喜んでいました。
幸せを感じる“基準”はどのあたり?
そんな我が子達を見て、たかだか「鬼まんじゅう」でそんな幸せな気分になれるって、
羨ましいぐらい「幸せな体質」だなーと思ったんです。
だって、幸せのハードルが高い人より、
低い人の方が「幸せでいられる時間」が多いように思いませんか?
例えば、こんなイメージ。
雑な手描きの図ですけど、日常に起こる色んな出来事の中で、
幸せのハードルが高い人は3個しか幸せ基準を超えてないところを
幸せのハードルが低い人は7個も幸せ基準を超えることができるんです。
鬼まんじゅうでガッツポーズって……ハードルがめちゃくちゃ低くないですか?
それか、鬼まんじゅうの価値がめちゃくちゃ高いのか、どっちかですね(笑)。
そんな子ども達の感性を見習いたいものだなと思いました。
夏休みの終わりに子ども達が言ったこと
今年(2018年)は夏休みの終わりギリギリまで、私の実家(福井県なんですが)へ帰省していました。
いよいよ清水へ戻るという、前日の夜。
娘がシクシク泣きながら、
「帰りたくない。。。ずっと夏休みだったらいいのに。。。」と言いました。
私も子どもの頃、同じように思ったことがあるので気持ちはとても分かります。
私の両親も子ども達をたくさん遊びに連れ出してくれたので、
子ども達にしたら夢のような10日間だったことでしょう。
ただ。おかげで私も両親もヘロヘロです。ずっとは無理だよ~(笑)。
そんな大人の事情はさておき、シクシクしている子ども達に伝えました。
「こんなに楽しいのは、がんばってる普通の毎日があるからだよ。」と。
これは私の思っていることなんですが。
夢のように楽しすぎる毎日を本当に毎日過ごしていたら、どうなるでしょうか。
きっと、その楽しい毎日は「日常」になってしまうでしょう。
すると、それが当たり前の基準になって、
もっともっと楽しいことしか「楽しい」と感じなくなると思うんです。
これってつまり、幸せのハードルが高くなるってことですよね。
「こーーーんなに楽しかった10日間なのに、楽しいって感じなくなったら。
それってとても悲しくない?」
と、子ども達とお話ししました。
楽しい夏休みは、楽しいと感じるままの体でいたい。
だから、がんばってる普通の毎日が必要なのではないでしょうか。
幸せを感じるハードルは低い方がいい。
ちょっとした喜びでもすぐに気付けるようなアンテナを持っていたいものです。