常識と非常識の境界線はどこ?常識ってすごくあいまいな言葉

田舎の子育て
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まだ上の双子娘が赤ちゃんだった(歩き始めぐらいの)頃、
自分の考えがひっくり返った出来事がありました。

子育てサークルのような集まりで、ある赤ちゃんが長机の上に登り始めたのです。

その部屋は和室で畳、地域の集会所のような場所で長机に座布団で集まっていました。
お母さんは「あらあら」とは言うものの止める気配はありません

赤ちゃんはもう、完全に長机の上に座っています。
「まだ言っても分からないからねー」と、周りのお母さん達も寛容です。

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え、叱らないの??

私はびっくりしました。
我が家では赤ちゃんでも「長机に登る」は叱っていましたから。
テーブルや机には座るものではないという考えがあるからです。

言って分かるかどうか、というより、登ろうとしたら止めます。

赤ちゃんなのでよく分かっていないかもしれないけど、

登ろうとするとママが怖い顔になって怖い声で何か言うので、
それはきっと赤ちゃんにとって気持ちいいことではないので、
うちの子の場合はやろうとしなくなりました。

その方法が良いのか悪いのか。
止める私が正しいのか間違っているのか、そこに正解はありません。

そのときは『私は人より厳しく言い過ぎなのかな……。』と思いました。

え、叱るの??

ところが、数十分後。

アイスだったかヨーグルトだったか、その赤ちゃんがフタの裏を舐めようとしたとき、
お母さんが慌てて「ダメダメダメダメ!!」って止めたんです。

それは、やっちゃいけません、と。

おおおーと私は目からウロコでした。
私だったら、そこはスルーしたかもしれない。

『お母さん、そこは厳しいんだなー!』って。思いました。

何が目からウロコだったかというと、
私の中にあった“常識ランキング”の並び方が崩れた瞬間だったのです。

それまではただ、「どこまでのことを厳しく言うか」っていう“度合い”でしか、
しつけに厳しいかどうかの差はないと思っていました。

「重要視することが何か」によっても、
厳しく言うことと言わないことの順番が、入れ替わるんだなーと気付いたのです。

私の「常識」は私の中でしか通用しない

そう思ったら、私が思っている「常識」は私の中でしか通用しないんだなって
よく分かりました。

周りの人は反対に、私が気にしていない部分を
「そこを気にしないなんて非常識」と思っているかもしれないですよね。

常識という言葉がカバーしている範囲って実はすごく「あいまい」で、
本当の「常識」が何を指しているかなんて、実体のないものだなーと感じました。

だから、

常識だよね!という言葉には囚われすぎないように気を付けたいし
(そうかどうかは分からないから)、

反対に自分で「常識だ」と思っている行動が、
相手にどう映っているかにも気を留めないといけないなと。

なかなか難しいことですが、その出来事をきっかけに気を付けるようにしています。

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