冗長には、だらだらと長いこと・無駄なもの・あってもなくてもいい部分などの意味があります。
一方で、近頃の暮らしは、「スマート」という言葉が1つキーワードになっています。
スマート家電、スマートフォン、スマートICなどの言葉がありますが、
などの意味があるようです。
「冗長」と「スマート」の関係
冗長とスマート。
2つの言葉から考えてみると、
「冗長部分をどんどん取り除くと、スマートになっていく。」
ということが言えるでしょう。
便利であること、効率的であることを追求する私達の暮らしは、無駄なもの、あってもなくてもいい部分(冗長)から、どんどん、どんどん、削られていって、洗練された・無駄のない暮らし(スマート)に進化してきています。
それは、「テキパキと律された、余計なことをしない暮らし」です。
時間の流れを速く感じたり、いつでも忙しい気がするのは、そのせいかもしれませんね。
スマートを追求するだけで、本当にいいの?
そんな世の流れがある一方で、本当にそれでいいのかと思うのは、「人間らしさ=冗長のかたまり」じゃないのかな?と思うこと。
例えば「人情」って、そんなことをしてる場合じゃないけど、でも放っておけないから。みたいなところがあります。
これって、効率的とは真逆ですよね。
例えば「人間くささ」って、完璧そうに見える人がふと、そうじゃない部分を見せたり、失敗したり、完璧がほころびを見せたときに感じます。
これも、完璧さや洗練度から考えると、なくてもいい無駄な部分ということになります。
人間らしさって非効率
こう考えてみると、“人間らしさ”は、ものすごく非効率で。
冗長そのものだなって思うんです。
冗長を削ぎ落していく進化の中で、間違っても人間らしさまで失わないようにしないといけませんね。
ロボットと違って、余計なことをするのが人間ですから。
だから、ときには時間をかけて何かするのも、いいかもしれません。
料理や雑貨でも、手作りのものに“ぬくもり”を感じるのは、非効率な手作業と不揃いな完成品に“人間らしさ”があるからかもしれませんね。
自分の人生の中にも、愛すべき冗長があるのではないかと思います。