効率的な生き方と人間らしさは相容れない

私の人生観
この記事は約2分で読めます。

冗長には、だらだらと長いこと・無駄なもの・あってもなくてもいい部分などの意味があります。

一方で、近頃の暮らしは、「スマート」という言葉が1つキーワードになっています。
スマート家電、スマートフォン、スマートICなどの言葉がありますが、

スマート=賢い・洗練された・無駄がなく手際が良い

などの意味があるようです。

スポンサーリンク

「冗長」と「スマート」の関係

冗長とスマート。

2つの言葉から考えてみると、
「冗長部分をどんどん取り除くと、スマートになっていく。」
ということが言えるでしょう。

便利であること、効率的であることを追求する私達の暮らしは、無駄なもの、あってもなくてもいい部分(冗長)から、どんどん、どんどん、削られていって、洗練された・無駄のない暮らし(スマート)に進化してきています。

それは、「テキパキと律された、余計なことをしない暮らし」です。
時間の流れを速く感じたり、いつでも忙しい気がするのは、そのせいかもしれませんね。

スマートを追求するだけで、本当にいいの?

そんな世の流れがある一方で、本当にそれでいいのかと思うのは、「人間らしさ=冗長のかたまり」じゃないのかな?と思うこと。

例えば「人情」って、そんなことをしてる場合じゃないけど、でも放っておけないから。みたいなところがあります。

これって、効率的とは真逆ですよね。

例えば「人間くささ」って、完璧そうに見える人がふと、そうじゃない部分を見せたり、失敗したり、完璧がほころびを見せたときに感じます。

これも、完璧さや洗練度から考えると、なくてもいい無駄な部分ということになります。

人間らしさって非効率

こう考えてみると、“人間らしさ”は、ものすごく非効率で。
冗長そのものだなって思うんです。

冗長を削ぎ落していく進化の中で、間違っても人間らしさまで失わないようにしないといけませんね。

ロボットと違って、余計なことをするのが人間ですから。
だから、ときには時間をかけて何かするのも、いいかもしれません。

料理や雑貨でも、手作りのものに“ぬくもり”を感じるのは、非効率な手作業と不揃いな完成品に“人間らしさ”があるからかもしれませんね。

自分の人生の中にも、愛すべき冗長があるのではないかと思います。

タイトルとURLをコピーしました