「専業主婦」という言葉について、私が思っていることを書きます。
私は新卒入社した会社を結婚のため2年半で辞めてから、転勤族生活のあいだ専業主婦でした。
在宅ワークはしていたものの、勤めにいかず、ほぼ専業主婦でいる大きな理由は、
夫が仕事柄『休日でも何かあれば呼び出されて居なくなる職業だから』です。
だからおこづかい講師の仕事も、
「今日は講座があるから子ども達を見ててね。」って頼んでも、
もし途中で呼び出しがあったら夫は仕事に行くしかないので。
最終的に誰が子どもを見るのかってなると、
結局私が見ることになるんです(両実家とも遠いので)。
子どもが寝たあとに帰ってきて、起きる前にまた出て行って、
子どもが「何日か父ちゃんに会ってないね」って言うとかザラだし、
予定が直前でキャンセルになったり、狂うのもザラ。
家事育児をやってくれない人なんじゃなくて
(何ならやってくれるときは私より手際が良い(笑))、物理的にいない人。
いる前提で予定を組むと大変なので、いない前提でも動けるようにしておくという……
アテにできない人。
そう気付いた結婚3年目に、
私の相言葉は「夫は頼りにするけどアテにしない」になりました(笑)。
決して、お金に余裕があるから専業主婦でいたわけではないのですよね。
専業主婦でいる人の背景が同じなんて一概に言えない
これは別に、子育ての大変自慢をしようというのではありません。
みんなどこのお家も、言わないだけで色々大変な事情を抱えているのだと思います。
そして苦労している人ほど周りに言わない印象です。
夫の職業は伏せていますが、夫と同じように
『休日だろうが何かあったら呼び出されて居なくなる職業』はいくつもあるでしょう。
あと、今住んでいる清水(2018現在)は大きな港があるから、
船の関係のお仕事をされている方もけっこういて。
あるお母さんは「夫が船で出て行ったら1ヶ月帰ってこないとかザラよ。」って言ってました。
専業主婦でいるお母さんは、勤めたくても勤められない理由があってそうしている場合も多いということです。
専業主婦という単語は古い。多様性広がるこれからの主婦像
私を専業主婦というカテゴリーに収めるのはなんか違う、と思う私は、言いたいことがあります。
専業主婦は世間的には「昭和のモデル」で「もう古い」のかもしれません。
あの人、働いてないの?と言われるのは肩身が狭いかもしれません。
でも、我が家にそれが合ってるならば、選べればいいんだよと言いたいです。
昭和でない新しい主婦像だと思えば、夫婦で決めたバランスならそれがベストなんじゃないかなって。
でね、そこで問題なのは、じゃあ専業主婦の人は「働くことで得たいもの」は
我慢しなきゃならないのか?ということ。
そこが、今の専業主婦と「昭和のモデル」との違いじゃないでしょうか?
今は在宅でも“とれる手段”がいっぱいあります!
今は在宅でも自分から発信する手段があるし、勤める以外の働き方も選べます。
さらに、なんなら無いものは新しく作ってしまえばいいという気風です。
だから、「働くことで得たいもの」も諦めずに取りに行けばいい。
私の場合、働くことで得たかったものは「社会貢献」「やりがい」「お金」とかかな?
このうち「お金」は足りない分だけ足りればいいと思っていて、
たくさんは必要ありません。
そう考えてみれば、私が本当に得たいものは「働くという事実」ではなく、
「社会貢献」「やりがい」「お金」こっちの3つなんだなと。
それが得られれば、手段は「働くこと」でなくてもいい。
だから私は、「地域活動に積極的に参加する」「在宅ワーク」「ときどき講師」
「陰ながらアイデアコンペに応募(ちょこちょこ入賞してます。)」というように、
複数の手段で「社会貢献」「やりがい」「お金(少し)」の目的を満たしてます。
時期が来たらまた「働くこと」を選択するのかもしれないし、
色んな可能性を残してアンテナを張っておきたいと考えています。
専業主婦はめちゃくちゃ自由度が高い
だから、専業主婦は古い型だって考えるのがもう古いんじゃないか?そう思っていて。
専業主婦だって「こうあるべき」みたいな型(昭和のモデル)を無くして、
もっと自由に多様な主婦像を描けばいいんだと思います。
……でも、そうすると“専業”っていう単語が何かしっくりこないなー。
なんて思ったり。
在宅ナントカ……とか?もっとカッコイイ横文字とか?
なんか、そのうち専業主婦も違う言葉に置き換わりそうな予感がしますね。